関ヶ原の退き口① [島津義弘]

NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国』で関ヶ原の合戦をどう描くか期待していましたが、やはり3姉妹を主人公にした関係ためなのでしょう。大津城攻防戦や徳川秀忠の話に話題をさいていました。やや物足りなさを感じた方もおられたのではないでしょうか。

そこで本ブログにおいて、関ヶ原の合戦の名シーンにまつわる謎を皆さんと一緒に解き明かしていきたいと思います。

関ヶ原の合戦の謎のひとつに、「関ヶ原の退(の)き口」と後世にまで讃えられた退却戦がありました。

16万の大軍勢が会した関ヶ原で“奇跡”を起こした事蹟の主役は、わずか1500の小勢。その大将・島津義弘(号して維新)は前代未聞の「敵陣中央突破」を敢行します。

島津勢は、石田三成隊の右、小西行長隊の左に布陣。それまで優勢だった西軍が小早川秀秋の裏切りで大壊走をはじめると、大軍を擁する左右両隊の将兵がわれ先にと、畿内・西国方面へ通じる街道(北国脇往還)へと向かいます。

「後陣甚だ騒動す」

と『維新公関原御合戦記』に書かれています。

つまり、島津勢は逃げ遅れ、退路を味方の敗残兵にふさがれたのです。逃げ道は中山道方面か、伊勢街道方面しかありません。いずれも東軍の敵中を突破する必要があります。

そのとき義弘は「刀の鞘の蛭巻(金属製の装飾品)も捨てよ」(『同』)と全軍に命じます。

こうして義弘は全軍に軽装を命じ、こうして前代未聞の退却戦が幕を開けるのです…。
(つづく)

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