歴史発掘!!6月3日の「本能寺茶会」⑥ [織田信長]

「本能寺茶会」の存在を示す根拠は、フロイスの書信(『日本年報』)ばかりではありません。

京に滞在中の博多の豪商・嶋井宗室へ宛てた信長の手紙に、本能寺茶会で披露する茶道具38種類が記載されています(『仙茶集』)。信長が安土から本能寺へ運ばせた名物茶器のリストです。

つまり、本能寺でこういう名物茶器をお見せしましょうという信長からの招待状でした。

その中には、“戦国の梟雄”と呼ばれる松永久秀が信長に降る際に献じた名物の茶入「九十九茄子」(現・静嘉堂美術館蔵=本能寺の焼け跡から奇跡的に見つけ出されました)も含まれ、当時の1級品がズラリ並んでいます。

さしずめ、“国宝級”の信長コレクションといったところですが、その目録(リスト)の年月と日付が「午(うま)」の年、すなわち天正10年(1582)の「六月一日」になっています。

このため「本能寺茶会」は6月1日に開かれたとする説もありますが、それはこれまでみてきたとおり、大いなる誤解というべきでしょう。

その理由は、道具披露の茶会当日に招待状が送られるとは考えにくいこと。

宗室へ宛てた手紙が披露する茶道具の目録であると同時に茶会への招待状を兼ねているのは明らかです。今日の常識からいっても、イベントの当日に招待状が届けられるとは考えられないからです。

ただし、1日に大勢の公卿が”信長詣で”のため、本能寺に参集しているのは事実です。それを茶会と勘違いしたところに「6月1日の本能寺茶会説」の誤りがあったようです。(つづく)

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