信長が本能寺で死ななかったら(最終回) [織田信長]

信長が本能寺で死ななければ、翌日の「本能寺茶会」で「安土遷都」をゴリ押し――誠仁(さねひと)親王の即位と同時に都を安土へ遷し、将軍宣下を受けて「安土幕府」を開いていたと思います。

ただ、歴史ファンの皆さんはここで疑問をお持ちになるのではないでしょうか。

「源氏でなければ征夷大将軍になれない」という歴史の常識があるためです。信長は源氏の生まれではありません。しかし、よくよく過去を紐解いてゆくと、必ずしも源氏でなければ将軍になれないわけではないことがわかります。

たしかに、それぞれ鎌倉幕府と室町幕府を開いた源頼朝と足利尊氏は源氏の出。しかし、鎌倉幕府の将軍も3代実朝までは源氏の血流を受け継いだものの、実朝が暗殺された以降、宮家や摂関家から将軍を迎え、最後の将軍(9代将軍)は守邦親王という皇族関係者でした。

したがって、信長が源氏でないからといって将軍職に就けないことはありません。

当時、易姓革命(源平交代思想)という考え方があったとされ、源氏である将軍足利義昭が京を追われたあとだから、次は平氏が政権の座に就く番。はじめ藤原氏を称していた信長は後年、平氏を名乗ります。それも、将軍職へ就任するための布石だったのでしょう。

さて、それでは最後にひとつ確認しておくことがあります。

本当に信長は平氏だったのでしょうか。次回は信長のルーツを探ってみたいと思います。

下の写真は、信長が幕府を開く予定だった安土城の大手道(撮影が冬のため、雪がつもっています)
安土城②大手道.jpg

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