信長が本能寺で死ななかったら④ [織田信長]

信長は6月3日、京の本能寺で茶会を開き、朝廷主要メンバーの公卿らを前に重大な決定を迫ろうとしていた――と考えています。

その”重大な決定”が「安土遷都」だったのだと思います。安土城の天守閣は信長の常御殿(つねごてん)。その眼下に、本丸御殿がありました。

問題はその本丸御殿の主(あるじ)です。1999年度から安土城で発掘調査がおこなわれ、その結果、本丸御殿の柱間は国内最大級であることがわかり、御所の清涼殿(天皇が日常の生活をおくる御殿)と紫宸殿(天皇が儀礼をおこなう御殿)を模していることもほぼ明らかになっています。

つまり、この本丸御殿の主は天皇であり、信長は正親町(おおぎまち)天皇が誠仁(さねひと)親王(信長によって事実上、二条御所に幽閉されている)に譲位したあと、この安土城内の本丸御殿に親王(新天皇)の御座所を遷すことを考えていたのでしょう。

信長は、既存の武家政権と同じく天皇を奉戴しつつも、天守閣の眼下に、天皇の御座所(御殿)をもうけ、ビジュアル的に誰が見ても一目瞭然――文字どおり、天皇の“上”に君臨する君主の座を目指したのでしょう。

この野望のためには、6月3日以降に予定される「安土遷都」にタイミングを合わせ、将軍宣下を受ける必要があります。だから、5月初めの時点では、朝廷の意志を確認しておくだけでよかったのです。(つづく)

安土城天守閣(模型)より下を見下ろす信長
安土城模型⑤.jpg

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