信長という男③ [織田信長]

信長の非情冷酷さを象徴するエピソードはまだあります。

信長が武田家を滅ぼした際、武田家ゆかりの恵林寺で大虐殺を断行しています。信長は嫡男信忠に命じ、寺内の老若を全員山門にのぼらせ、火をかけました。さすがに名僧の誉れ高い快川紹喜(かいせん・じょうき)は山門の上に座ったまま動じませんでした。

ちなみに、このとき燃え盛る山門の上で快川紹喜が吐いた「偈」(仏の教えをたたえる韻文)が、

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

という有名な諺になりました(ただし、この偈が本当に快川のものがどうかは異説があります)。しかし、紹喜はともかく、このとき寺の稚児や若衆らは

「大焦熱の焔に咽(せ)、火血刀の苦を悲しむ有様、目も当てられず」

と『信長公記』は記しています。しかし、恵林寺を焼き討ちしたのは、杉谷善十房(前回参照)に鉄砲で信長を狙わせた疑いのかかる六角義賢の一族を匿ったからです。

信長が比叡山を焼き打ちしたのも、宿敵の浅井・朝倉勢を匿ったためでした。また、信長は高野聖(全国を行脚して高野山への勧進活動をおこなう僧)を大量処刑していますが、これも、高野山に逃げこんだ荒木村重の残党を引き渡さなかったためです。

信長の虐殺には、それなりの理由があったのです。(つづく)

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