信長という男(最終回) [織田信長]

宣教師ルイス・フロイスが「(家臣らは)絶対君主に対するように服従した」といった信長の厳しい態度にも理由がありました。

『武功雑記』という有名な江戸時代の逸話集に、こんな話が出ています。

あるとき信長は近習の者の1人を呼びつけますが、何も命じません。黙ったまま近習の様子を窺がっているだけです。しばらくして、「もはやよし」と用をいいつけずに下がらせました。次にまた別の近習を呼び、同じくすぐ下がらせます。当然、近習らは首をかしげたことでしょう。

そして、信長の前に罷り出た3人目の近習は、すぐ脇に落ちていた塵に気づき、拾いあげました。すると信長はその近習を褒めたといいいます。

いかにも潔癖症の信長らしい話ですが、信長はそのあと合戦の際の駆け引きを例に挙げ、近習にこういっています。

「人は心と気をはたらかすを以てよしとするなり」

つまり、合戦の際に側近の者らが注意を怠らないよう普段から鍛えあげていたのです。

たしかにトップとして信長は、気難しく仕えにくい主君だったことはたしかでしょう。しかし、後世語られるような非情冷酷な人間でも、理由もなく僧を焼き殺したり、無暗に部下を怒鳴り散らしたりする人間ではなかったと思います。こうした信長の人物像を念頭に入れて、本能寺の変を考えると、”真相”という名の新しい風景が開けてくるのではないでしょうか(「最終決着! 本能寺の変」参照)。

次回(明日の予定)以降、その信長のデビュー戦ともいえる桶狭間の合戦について考えたいと思います。

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