信長の懐刀だった光秀① [明智光秀]

NHK大河ドラマ『江~女たちの戦国~』で豊川悦司扮する織田信長は、気真面目すぎる明智光秀がもう一皮剥けて人間的成長を遂げられるよう、敢えて冷たくあたったという設定でした。ところが、そんな信長の”親心”が光秀には通じず、本能寺の変へと至りました。

信長はいわば、主君として有能な家臣の能力アップに勤めようとしていたという面で新鮮味はありましたが、やはり、”冷たくあたった”という面では通説に準じていました。実際の主従関係は、これまで考えられてきたものとかなりちがっていたと思います。

光秀が信長に仕えたのは永禄10年(1567)から翌11年にかけてと考えられますが、その2~3年後、新参者の光秀に対して、信長は早くも次のような信頼を寄せています。

永禄13年2月、信長が岐阜から京へ上洛したとき、信長を山科まで出迎えた公卿の日記に、

「(信長が)明智十兵衛尉所へ被付了」

として、上洛した信長がまず真っ先に光秀の宿所を訪ねたことを記しています。そこで何やら鳩首していた様子が目に浮かびます。2~3年でよほどの信頼関係が構築されていたのでしょう。

そんな信長と光秀の蜜月関係を、他の家臣らは快く思っていませんでした。それは宣教師ルイス・フロイスの『日本史』に、

「(光秀は)殿内にあっては余所者(よそもの)であり、外来の身であったので、ほとんどすべての者から快く思われていなかったが、自らが(受けている)寵愛を保持し増大するための不思議な起用さを身に備えていた」

とあることで証明されているといえます。

そして、信長が光秀に対して絶大な信頼を抱き、やがて自身の懐刀とするに至る事件が元亀2年(1571)9月に起こります。比叡山焼き討ちです……。(つづく)

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。