利休の切腹について③ [千利休]

千利休切腹の理由にまつわる諸説のひとつに、茶道具をめぐる疑惑というのがあります。今日はその疑惑を取り上げたいと思います。

奈良興福寺の僧・多聞院英俊は、利休切腹当日の日記にこんなことを書き残しています。

「宗易、今暁腹切了。近年新儀ノ道具共用意シテ、高直(高値)ニウル(売る)。マイス(売僧)の頂上也」

ご承知のとおり、宗易は出家した利休の法名。その宗易(利休)が地位を利用し、新しい茶道具に法外な値段をつけて売っていたというのです。だから、切腹させられたのだといわんばかりの記述です。たしかに、利休が一言褒めたらどんなガラクタ茶器でも、たちまち名器に早変わりしたことでしょう。同じ僧侶として英俊は、そのような”売僧の親分”である利休を許せなかったのだと思います。

とても”わび茶”を大成した茶人の行為とは思えませんが、これまた、それが事実かどうかは確認できません。ただし、僧の日記という一級史料に掲載されている話ですから、そういう噂があったことだけはたしかだと思います。

しかし、金毛閣事件(「利休の切腹について①」参照)と同じく、豊臣秀吉が利休を必要としていたら、この程度の悪事には目を瞑るはずです。やはり、ほかに本当の理由があったとしか考えられません……。(つづく)


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