利休の切腹について② [千利休]

豊臣秀吉が千利休に切腹を命じた理由のひとつに「利休が娘を側室に上げるのを拒否したから」という説があります。秀吉が希代の女好き(今後、本ブログで考えたいテーマのひとつです)だったことを考えると、いかにもありそうな話です。

実際に『千利休伝記御尋之覚書』という史料にその話が掲載されています。前回述べたとおり、この史料は、利休の曾孫が紀州藩(当時、利休の曾孫は同藩に仕えていました)の質問に答えるという形でまとめられたものです。紀州藩はまずこう質問しています。

「利休生害の理由として、(利休の)娘の話もあるが、それについてはどうか」

このように”側室拒否説”は当時からありました。しかし、事実と噂はちがいます。利休の曾孫も、

「世上、そういう話が伝わっていますが、しかと存じません」

と回答しています。

たしかに利休に娘がいたのは事実です(通説は4人)。秀吉が鷹狩りの帰りにその1人を見染め、側室に求めます。その娘(亀・綾・吟という名が伝わります)は後家、つまりバツイチでした。ところが、精査してみると、その条件にピッタリあう娘がみつかりません。やはり、秀吉の女好きというイメージが世上の噂となったとしか思えないのです。

それでは、秀吉が利休に切腹を命じた本当の理由は何だったのでしょうか。

引き続き、その問題を考えます。(つづく)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。