利休の切腹について④ [千利休]

豊臣秀吉はなぜ千利休に切腹を命じたのか――その本当の理由を探る上で大きな”手がかり”が存在します。

秀吉は、はじめ利休を磔にしようとしていました。さすがに周囲の反発もあり、それはとりやめになりましたが、秀吉の親友・前田利家も、利休に対して、大政所と北政所(秀吉の母と正室)を通じて詫びるよう進言しています。ところが、利休は、

「命おしきとて、御女中方を頼み候ては、無念に候」(『千利休伝記御尋之覚書』)

といって、せっかくの命乞いのチャンスを自ら棒に振っています。つまり、利休は女に頭を下げてまで助かろうとは思わないと意地になっているのです。

一方の秀吉は秀吉で、かつて豊後の大友宗麟をして「(利休のほか)関白様へ一言申上ぐる人これ無し」といわしめるほど信用していた側近を磔にしようとしたのですから、かなりムキになっていたといえるでしょう。

以上のことから、2人ともまず感情が前面に出ていたことがわかります。茶道に対する秀吉と利休の考え方のちがい、つまり芸術的対立論が背景にあったといわれるのも、互いに男どうし、どうしても自分の意見は曲げられないという頑なな2人の態度があったからではないでしょうか。

しかし、芸術的対立論が背景にあったとしても、決してそれだけではなかったはずです。2人が感情的になるほどの対立点が他にあったと考えています。

そのためには、もう一つ、謎解きのための重要なキーワードが必要です。そのキーワードというのが……。(つづく)
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