黒田如水「天下取りの野望」の謎① [黒田如水]

黒田如水(官兵衛)はご存じ、竹中半兵衛と共に豊臣秀吉の軍師として、その天下取りに貢献しました。

しかし、秀吉は如水の才を恐れ、豊前中津でわずかに12万石しか与えませんでした。如水としては忸怩たる思いがあったのでしょう。

秀吉逝去後、天下はふたたび乱れ、群雄が東西両軍にわかれて一色即発の危機を迎えます。如水はその風雲に乗じて、天下を我がものにしようとしたと伝えられています。これもまた、関ヶ原の合戦における謎のひとつです。

本当に如水は天下を取ろうとしたのでしょうか。

『常山紀談』によると、如水は嫡男の長政に、

「我は無双の博打の上手なり。筑紫(九州)より攻登り、勝相撲に入りて日本を掌の中に握らんと思ひたりき」

と語ったといいます。つまり、東軍か西軍、関ヶ原で勝った側を叩きのめし、漁夫の利を得て天下を掌中にする算段だったというのです。

 『黒田家譜』には、その具体的なシナリオまで書かれています。

まず如水は九州を平定し、その兵をもって中国の毛利・宇喜多領を席巻。播州の室ノ津(たつの市)で兵船を仕立てて姫路へ押し寄せるというシナリオです。姫路は如水が秀吉に仕える前の旧領。ふたたび姫路を拠点に、京を押さえる作戦だったというのですが…。
(つづく)

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