信長の素性(最終回) [織田信長]

織田氏を称することになる初代・常昌(常任)のルーツをもう少し遡ってみましょう。

常昌は、忌部親真という人の五世の子孫といわれています。そして、さらに親真のルーツをたどってみると、たしかに平重盛に至ります。

『剣明神(神社)縁起』に、

「重盛公の嫡子親真は織田(剣)神社の養子と成る」

と記されているからです。それゆえ、親真の子孫である信長は「平氏」ということになります。もっというと、平重盛は、来年のNHK大河ドラマの主人公・平清盛の嫡男ですから、信長は初めて武家政権を開いた武将の血を受け継いでいることにもなります。

しかし、結果からいうと、その縁起の内容は史実と異なるようです。


実際には、伊勢の平氏一族である平基度(もとのり)という武将の娘が忌部親澄という人に嫁ぎ、やがて親真が生まれたというのです。母系は平氏の末葉に連なっているとしても、父系を中心とする系図の流れからいうと、あくまで織田氏は忌部氏です。

したがって『織田町史』は、そこから織田氏が平氏だという誤った伝承が語り継がれてきたとしています。こうして、実際のところは忌部氏でありながら、剣神社の伝承を根拠に信長は平氏を称していたのです。

これで信長が平氏を称し、「源平交代思想」にもとづいて、「安土遷都」後に征夷大将軍になろうとした背景がわかりました。さて、問題は6月3日に本当に「本能寺茶会」がおこなわれたどうかです。その茶会は、信長が「安土遷都」を認めさせるための”事実上のクーデター”であったと考えています。

次回以降、そのことを証明していきたいと思います。

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