信長の懐刀だった光秀③ [明智光秀]

信長が光秀に絶大な信用を寄せる一方、光秀は信長をどう思っていたのでしょうか。

宣教師フロイスはこう述べています。

「(光秀は)誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関していかさかもこれに逆らうことがないよう心掛け、彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、自らは(そうでないと装う)必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった」

ここからわかるのは、気難しい主君の「親愛」を得るために光秀がいかに苦労していたかということでしょう。信長自身、そこまでして光秀が自分に気に入られようと汲々としているとは自覚していなかったのかもしれません。その意味では、(羽柴)秀吉と信長の主従関係とはまるでちがう関係だったことが窺われます。

光秀はまた、妻の妹を通じて信長との良好な関係を築いていたようです。『多門院日記』に、

「維任(光秀)ノ妹ノ御ツマキ(妻木)死了。信長一段ノキヨシ(気良し)也」

と書かれています。

【これは本能寺の変が起こる一年前の日記。光秀が明智一族の妻木氏から娶った妻(煕子)には妹がいて、その女性が信長の“お気に入り”だったという。

愛妾とまではいかないかもしれないが、この義妹の死に光秀は「向州(光秀)無比類力落也」と大きなショックを受けている。光秀の従妹である信長正室(帰蝶)の当時の消息は不明だが、比較的早い時期に死去しているというのが一般的。したがって、光秀にしたら、従妹の代わりにこの義妹が主君のお気に入りでいてくれることは何かと都合がよかったのだろう。だからこそ、大きなショックを受けたのである】(著書『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』より引用)

その義妹は、光秀にとって仕えにくい主君との”潤滑油”になってくれていたのではないでしょうか。(つづく)
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