関ヶ原古戦場①

美濃関ヶ原は、中山道と北国街道が交差する交通の要衝です。

したがって、慶長5年(1600)9月15日、東から西へ攻め上る東軍(7万5000)と迎え討つ西軍(8万4000)の大軍勢が、ここ関ヶ原でぶつかるのは歴史の必然――と思われがちです。

しかし、実際に古戦場を歩いてみると、平地の少なさに驚かされます。

下の写真は、笹尾山(石田三成本陣)から関ヶ原の主合戦場を見下ろしたものです。

三成の陣より関ヶ原主戦場方面望む.jpg

ご覧のとおり、関ヶ原は両軍合わせて15万もの大軍勢が雌雄を決するような土地ではなかったのです。

それではなぜ関ヶ原が合戦場に選ばれたのでしょうか。(つづく)
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