信長が本能寺で死ななかったら① [織田信長]

本能寺の変で織田信長が死ななかったら、その後の歴史はどう変わっていたのでしょうか。歴史ファンなら、いちどは空想したことのあるテーマだと思います。

このテーマについて、史料に基づきアレコレ考えてみたいと思います。

信長死後の天正10年(1582年)11月5日、宣教師ルイス・フロイスが同日付の「日本年報」で信長の構想を本国へ報告しています。

信長は西国の毛利勢を討ち果たすために安土を発ち、その途中、京の本能寺で明智光秀の手にかかり、殺されてしまいますが、フロイスはこう綴っています。

「(信長は)毛利を征服し終えて日本の全六十六カ国の絶対君主になったならば、シナに渡って武力でこれを奪うため一大艦隊を準備させること、および彼の息子たちに諸国を分け与えることに意を決していた」

信長は日本平定どころか、朝鮮・中国と東アジアを統一する野望を抱いていたというのです。

この“亡き上様(信長)”の遺志を引き継いだのが豊臣秀吉であり、それが文禄・慶長の役(朝鮮出兵)という形になって実現したのだと思います。

信長が本能寺で死ななかったら、信長の手で朝鮮さらには、その先のシナ出兵がおこなわれていた可能性はあると思います。ただし、フロイスの報告書以外に、信長の“シナ出兵計画”について具体的に書かれた史料はなく、いまとなっては信長の真意を確認する術はありません。

次に、もう少し現実的に“信長の野望”を探ってみましょう。(つづく)

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