軍師・山本勘助は実在したか?④ [川中島の合戦]
山本「菅」助という信玄の軍師は実在したが、『甲陽軍鑑』で活躍する軍師・山本「勘」助は架空の人物。
ここまでの検討で以上の結論に至りました。それでは、ふたたび川中島の合戦にもどり、「啄木鳥(きつつき)の戦法」(①参照)について考えてみましょう。これは山本菅助の策を、『甲陽軍鑑』の作者が山本勘助の策として取り扱い、若干の誇張を含めて記述した――とも考えられます。
しかし、結果からいうと、これは菅助の策どころか、武田方の戦術でもなかった可能性があると考えています。
それではなぜ、謙信は武田方の攻撃を予期するかのように、本陣としていた妻女山を下り、深夜、「鞭声(べんせい)粛々(しゅくしゅく)」(頼山陽)と、千曲川を渡河して武田軍の前面に回りこんだのでしょうか。
『甲陽軍鑑』によると、記述のとおり妻女山の謙信は、武田の本陣から慌ただしくたち上る炊飯の煙をみて、勘助の作戦を見破ったとあります。
しかし、それは謙信が勘助の作戦を見破ったためではなく、別の目的があったからだと考えています。その目的とは、いったい何だったのでしょうか?(つづく)
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※しばらく、本ブログと引っ越し先の双方で最新記事を掲載させていただきます。
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『甲陽軍鑑』によると、記述のとおり妻女山の謙信は、武田の本陣から慌ただしくたち上る炊飯の煙をみて、勘助の作戦を見破ったとあります。
しかし、それは謙信が勘助の作戦を見破ったためではなく、別の目的があったからだと考えています。その目的とは、いったい何だったのでしょうか?(つづく)
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2011-08-22 10:43
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