信玄と謙信の一騎打ちは史実か?(最終回) [川中島の合戦]

天海はこのころ武田家に寄宿し、川中島の合戦を目撃していました。

その目撃談には、

「御幣川の中へ両方(馬を)乗り入れて輝虎(謙信)も太刀、信玄も太刀にて(中略)戦い候」

とあります。

ここでも、信玄が御幣川まで逃げてきたことになっています。やはり、乱戦の中、信玄の本陣が切り崩され、大ピンチに陥っていたのはたしかなようです。

そして、注目すべきは、信玄の太刀討ちの相手を謙信だといっていること。しかし、結果からいうと、それは天海の見間違いでした。というのも、その日の激戦が終わり、天海が信玄の御前に伺候したときのことです。

謙信との太刀討ちの話になると、信玄の顔色が急に変わり、不機嫌な様子でこう吐き捨てたといいます。

「謙信と太刀討ちしたるは我にあらず。甲冑を同じくさせ候、信玄真似の法師武者(影武者)なり」

そのくせ、信玄は傷を負い、後ろに凭れなければならない状態。影武者どころか、信玄本人がその日の合戦で誰かと太刀討ちしていたのは明らかです。

それでなぜ信玄は、天海に嘘をつかなければならなかったのでしょう。それは、相手が謙信ではなかったからだと考えるしかありません。

武田方の『甲陽軍鑑』の著者は、信玄が名もない武者と一騎打ちしたのでは末代までの恥となるため、相手が敵将の謙信であり、それも正々堂々、本陣に突入してきた相手の太刀を軍配で受け返したと偽装したのでしょう。

この一騎打ちの真相はどうやら、信玄の相手を荒川伊豆守とする上杉方の史料(『上杉家御年譜』)に軍配があがったようです。

つまり、大乱戦の中、信玄も謙信も互いに太刀をとって戦ったが、大将どうしが相まみえることはなかった――というのが正解なのではないでしょうか。

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